客観視とキャラクター

こんばんは、日付超えて書いてますが

絶賛体調絶不調なあーさんです

 

最近自分が、客観視という面をわきまえて

行動だったり、言動ができていないことに

気づきました。

 

客観視、人によっては幅が狭かったり

広すぎたり、ちょうど良かったり

本当に調節が難しいものだなと考えていて、

そこを調整するのが、キャラクターだったり

知識なのかなあと感じています。

 

個人的な意見を発するまでの最近の

道のりなのですが、

自分の意見を考える

↓①相手は私個人の意見を求めている

    ②相手はただの意見を求めている

① 客観視は20%程度

② 客観視は70%程度の割合で再度構成

ストレートに伝えすぎないよう、簡略かつ

わかりやすく理解されやすいようにまとめる

伝える

 

頭動かし過ぎですかね、はい

 

この最初の客観視の割合によって、個性が

優先されるのか、はたまたその他が優先

されるのか決まるんじゃないかなと思います

 

でも個性を優先するにしても、その他にしても

客観視しすぎると、自分のある意味

キャラクターが薄まって、意見としての

自己価値だったり、人間味が減ってしまって

ただの世論になってしまうんじゃないかなとも

考えるんです。

 

それ、死んでるのと同じじゃないのかなあって

思っちゃいましたよね、少し

 

せっかく自分だけのキャラクターや考えが

あるのに、世論や第三者を考えて、

自分の考えを打ち消すのは、人間味が

あまり無く、面白いとはいえないなあと

 

自己主張のやり過ぎは、もちろん良くないこと

ですが、やらなさ過ぎも、良くないと考えます

 

あくまで個人意見ですが

 

夜中に程よく頭を動かしたので、

今日はここまで